はじめまして、豊洲カイロプラクティックの伊藤友円(いとうともかず)と申します。
ご挨拶
多数あるホームページの中から、豊洲カイロプラクティックのホームページをご覧いただきましてありがとうございます。
スポーツ選手をサポートしたいという希望の中、出会ったのがカイロプラクティックでした。そのきっかけとなった言葉が、「薬を使わずに病を改善させるカイロプラクティック」です。薬での副作用がなく人間が本来もっている能力を引き出してあげることで健康になれるカイロプラクティックの施術は多くの方の役に立てると思い、この道に進みました。さらに膠原病で苦しんでいた祖母の手をさすることで楽になり喜んでもらえた経験から手技療法の未来を確信しました。カイロプラクティックは科学的根拠に基づいた施術方法です。表面的な痛みだけにアプローチするのではなく根本原因を見つけて施術をすることで、お身体のお悩みを解決します。それは、一人ひとりのお身体をトータルしてケアをすることであり、プロスポーツ選手であっても毎日を一生懸命生活される一般の方であっても基本は同じです。修行時代から含めて20年以上・のべ5万人以上(2022年4月現在)の臨床経験を活かした技術で皆様の健康をサポートさせて頂きます。
私が豊洲にやってきてから早15年が過ぎました。その間、豊洲地区をはじめ東雲や有明など周辺の湾岸地域は大きく変わりました。ご存知のようにマンションが立ち並び、商業施設が増え、たくさんの企業がやってきました。そんな中、この地域には本格的な施術を行う施設が無いことに気がつきました。自分自身も生活しているこの地域のお役に立てないかと豊洲カイロプラクティックを開業したのが2007年になります。今後も地域密着型施術施設として、皆様の健康に貢献できるよう努力してまいりますので、どうぞよろしくお願いします。
カイロプラクティックの出会いを詳しく記しています。よろしければお付き合いください。
カイロプラクティックに出会い、カイロプラクティックを一生の仕事として選んだ理由についてお話させて頂きます。少し長いのですがお付き合いください。
1997年に大学を卒業し一般企業に就職しました。バブルがはじけて久しく就職氷河期の先がけの時代でしたが、職業を選ばなければ就職はできました。自分が本当にやりたい仕事が何だったのかはわかりませんでしたが、適当に仕事をしていたわけではありません。むしろ真剣に頑張りました。おかげ様でお給料はおそらくたくさん頂いていたと思います。まる2年が経った頃、何かが違うと思い始めました。また正直、頑張りすぎました。燃え尽き症候群とも言えるのでしょうか。2年半で会社を辞めました。
それからは自分探しの旅です。当時はテレビ番組の影響もあって自分探しの旅が流行っていました。私も自分探しの旅に出かけました。アメリカ、マレーシア、シ ンガポール、オーストラリア、イタリア、フランス、デンマーク、スウェーデン。何だか全く共通点がないですがタイミングと予算で行けるところには行ってみました。日本語しかできない私にとっては大変なひとり旅でしたが、いろんな人の出会いは貴重な経験となりました。そんな旅の中、イタリアでサッカー観戦をしました。イタリア人のサッカーに対する情熱を感じました。また言葉の通じない少年と公園で2時間もボールを蹴りました。彼のもっているボールはボロボロでした。彼はイタリア人ではなくアルバニアからの難民でした。まさにサッカーに国境はないですね。小学生よりサッカーを続けていた自分にとってはサッカーに携われる仕事をしてみたいと感じた瞬間でした。そんな思いで帰国をします。
さて、サッカーと言っても今更選手は無理だしどうしようかと。それではサッカー選手をサポートできるトレーナーはどうだろうか。トレーナーについて調べようとしていた矢先です。運命の出会いがありました。たしか新宿近くのどこかの駅の広告看板だったと思います。こう、書いてありました。「薬を使わず病気を治すカイロプラクティック」この瞬間にビビッときました。これは何だ!と。実はこの時まで、カイロプラクティックという言葉さえ知りませんでした。調べてみると整体とは違うようだし、世界の国々では正式なヘルスケアとして普及していることがわかりました。これがカイロプラクティックとの出会いです。サッカーに携わりたいと思った矢先に知ったカイロプラクティックの存在でした。
また当時、今は他界した祖母が阪神淡路大震災の被災をきっかけに発症した膠原病で苦しんでいました。祖母の顔は薬により顔がむくんでいました。手の指先は固くて曲がりません。動かそうとすると痛いようでした。僕はせめてもと思い、手をさすってあげました。そんなことしかできません。当時の僕は何の知識もありません。技術もありません。でも祖母は楽になったと言って喜んでくれました。実際、長くやっていると手の血色も良くなっていました。これだ!と思いました。薬による副作用がなく、病気や痛みを良くするカイロプラクティック。カイロプラクティック療法、手技療法に僕の未来を感じました。(※実際は、関節リウマチを含む膠原病など自己免疫疾患の炎症を伴う症状に対してカイロプラクティックの施術は禁忌になります。ただし、自己免疫疾患があっても症状部位や施術方法によって可能なケースもあります。ご不明な点はご相談ください。)
そこからは、早かったです。いくつかの学校に資料請求をして見学に行き、話を聞きに回ります。仕事を辞めて実家に戻っていたこと、学ぶための費用、そして何よりもしっかりした技術を身につけることを含めて現実的な判断をして選んだのが、日本カイロプラクティックカレッジです。(以下JCC)JCCは、須藤清次DC(米国公認カイロプラクティックドクター)が創設した老舗のカイロプラクティック教育校です。
JCCでは須藤先生をはじめ講師の先生方、先輩、同期生、後輩の仲間と出会い、貴重な経験を積むことができました。JCCで経験豊富な技術を教授頂いた須藤先生。JCCを紹介して頂いた日本カイロプラクティックセンター阿佐ヶ谷の吉田和広先生。
カイロプラクティックの技術と施術に対する情熱を基礎からたたきこんで教えて頂いたKIZUカイロプラクティックの木津直昭先生。そして、木津先生の元で一緒に頑張った同僚の先生方。本当に感謝をしています。これらの貴重な経験によりカイロプラクティックの施術は多くの方に喜んで頂けることを確信しました。はじめは何もできなかった私が、この方々の支えがあって、カイロプラクティックが天職と思える仕事になり、豊洲カイロプラクティックを開業することができました。
さらに、2014年より3年間、キャリアアップをはかるため、東京カレッジオブカイロプラクティック(TCC)にて開講されていますプログラムを受講し修了しました。その後、日本カイロプラクティック登録機構(JCR)試験にも合格することができWHO基準のカイロプラクターとなりました。
※JCR試験受験資格プログラムとは、日本カイロプラクターズ協会(JAC)が国民生活センターからの要請を受けて2014年から始められた教育プログラムであり、WHO(世界保健機関)で提示されている「カイロプラクティックの基礎教育と安全性に関するWHOガイドライン」における既開業者をWHO基準カイロプラクターのレベルに引き上げる為の補完教育プログラムであるカテゴリーⅡ(B)にあたる。このプログラムは、WHOが認めるカイロプラクティックのNGO団体であるWFC(世界カイロプラクティック連合)が認める教育プログラムであり、この教育を終了後、国際カイロプラクティック試験委員会(IBCE)提供による登録試験(カイロプラクティック統一試験:JCR登録試験)の合格をもってWHO基準のカイロプラクターとして認められる。
現在、サッカーとの関わりという点では日曜日の草サッカーのサポートに限られていますが、今後も何らかの形で関わりをもっていけたらと思っています。それも含め、今後はWHO基準のカイロプラクターとして、ひとりでも多くの方の健康維持にお役に立てるよう初心を忘れずに謙虚な気持ちで努力をしていきたいと思います。特に豊洲周辺地域の健康を地域密着でサポートさせて頂きますので、どうぞよろしくお願いします。
長いエピソードに最後までお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。